平塚川添遺跡に行ってきました


福岡県朝倉市所在の平塚川添遺跡は、三重の環濠に囲まれた3世紀頃の弥生時代の後期に営まれた集落です。
この遺跡は『三国志』「魏書第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条」所謂「魏志倭人伝」に記録された倭人の国の実態を見事に復元しています。
また、『後漢書』「倭国伝」に記載された2世紀後半の倭国内の混乱の後、卑弥呼の擁立でまとまった倭国連合の国々が北部九州の各地に存在していたことがわかってきています。
河内平野や奈良盆地にはこれほどの大集落が多数存在していた痕跡見つかってませんし邪馬台国畿内説ってちょっと無理があるかもです。
對馬國千余戸、一大(壱岐)國三千許家、末盧(松浦)國四千余戸、伊都國千余戸、奴國二万余戸、不弥國千余家、投馬國五萬余戸、女王國七萬余戸とそれぞれの国の規模が記載されています。
佐賀県の吉野ヶ里遺跡に続き平塚川添遺跡でも環濠に囲まれたムラの様子が明らかとなってきていますがこうしたムラがいくつか集まりクニを作っていたのか、それぞれのムラが中心となってその地域でクニを作っていたのか謎はますます深まるばかりです。
平塚川添遺跡公園

平塚川添遺跡