伊勢志摩国立公園
伊勢志摩国立公園に行ってきました。
伊勢志摩国立公園は伊勢神宮の森を守るために戦後制定されたと聞いたことが有ります。
11月中旬とは思えないほどの暖かい日差しの中1泊2日で伊勢神宮と奥志摩のリゾートホテルに行ってきました。
東関道、首都高、新東名、伊勢湾岸道路、伊勢自動車道を駆け抜けて約540Kmの長距離ドライブです。
1日目は伊勢西インターから伊勢神宮外宮を参拝した後この日は時間の関係で奥志摩の都リゾート奥志摩アクアフォレストに向かいます。
志摩半島は思いの外急峻な山々が多く、峠越えのS字カーブの続く山岳ドライブとなりましたがT-ROCのおかげで自分のテクニックがラリードライバー上級者並かと勘違いするほど大満足のドライブとなりました。
2日目はホテルから伊勢神宮に向かい内宮を参拝し、おはらい町、おかげ横丁を散策し昼食後伊勢志摩スカイラインを通って鳥羽まで移動です。
おはらい町で名物のてこね鮨をたべたのですがちょっと味が濃くてわたくし的にはイマイチかな😓
赤福本店でお土産に赤福餅を買って伊勢神宮を後にしました。
帰路は鳥羽フェリーターミナルから伊勢湾フェリーに乗り伊良湖、豊川インター、三ケ日ジャンクション、浜松いなさインターを経て新東名経由で約460Kmと往復1,000Kmの楽しいドライブでした。
伊勢神宮
伊勢神宮の創建は、垂仁天皇の娘である倭姫命が天照大御神の鎮座地を探して各地を巡る中で天照御大神のお告げにより五十鈴川のほとりに内宮を垂仁天皇26年に建てたと言われています。ちなみに外宮はかなり後の雄略天皇22年の創建と言われています。一説には垂仁天皇の即位がBC29年といわれているので内宮は弥生時代中期の創建ということになっていますが在位期間がAD70年までなんと140歳まで存命していたことになり諸説ありますという謎。外宮の雄略天皇の在位期間が457年~479年と言うことでこちらは5世紀の古墳時代と言うことになってます。
考古学年代的には、卑弥呼が魏から親魏倭王の封号を与えられたのが239年なのでこの頃には伊勢神宮内宮は既に創建されていたということになってしまいます。しかし古事記や日本書紀には卑弥呼や邪馬台国のことは一切記述が見られません。なぜなんでしょうねぇ。垂仁天皇の妃日葉酢媛命の御陵は宮内庁により奈良県の佐紀陵山古墳とされており、墳丘には野見宿禰の進言により殉死に替わる埴輪が初めて立ち並べられたとされています。また、佐紀陵山古墳の埋葬施設は竪穴式石室、弥生時代前期は支石墓や甕棺墓、弥生時代中期は甕棺墓が主流、後期になるとようやく石棺墓が主流となっていくことが発掘調査で分かってきています。最新の研究では弥生時代中期の始まりがBC4世紀後半とされており年代的に相当矛盾が…
日本で最も由緒の有る格式高い伊勢神宮の創建年代が実はよく分からないと言うのがなんとも日本的でこれもまた神秘的とでも言っておきましょう。
伊勢神宮は20年に一度式年遷宮と言う儀式が有り、内宮と外宮が定期的に建て替えられます。解体された神社の木材は参道の鳥居として再利用したり、全国の神社建立に使われたりしているようです。いずれにしても伊勢神宮の森は参拝する人々の心を洗う清涼の雰囲気の漂う素晴らしい環境です。古から続くこの森がいつまでも保存されていくことを願うばかりです。次の式年遷宮は2033年ですでに準備が始まっているようです。伊勢神宮の境内にはそれぞれいくつもの別宮があり由来や参拝のルートなどは神宮司庁のホームページに詳しくのっていますので参拝される方はそちらをご参考ください。(https://www.isejingu.or.jp)
都リゾート奥志摩アクアフォレスト
志摩半島の最南端英虞湾(あごわん)を望む絶景ポイントにあるリゾートホテルです。
部屋の大きな窓からは英虞湾が一望でき、都会のシティホテルとは全く異なる海と森と空以外なにも無い空間が最高のひと時を味わえました。
夕食は基本ビュッフェスタイルなのですが、折角なので事前に伊勢エビの特注料理を追加で予約しておきました。
このホテルは天然温泉もありますが、何よりも天文館と言う天体観測のできる施設が併設されており解説員さんのアドバイスを受けながら本格的な望遠鏡で星空を見ることができます。当日は昼間は晴れていたのですが夜になって雲に覆われてしまい、ちょっと無理かなと思いながらもしばらく待つと、うす雲の切れ間から土星を見ることができました。今の季節土星の輪はやや左下がりに土星を串刺ししている棒のように見えました。
翌朝、ホテルからともやま見晴し台まで散策して真珠の養殖筏が沢山設けられた英虞湾のリアス式海岸の絶景を堪能してきました。
そう言えば高校は名古屋の県立高校だったので当時のクラスメートと五ケ所湾(英虞湾よりももう少し西に有ります)の小島の海辺でキャンプしたこと思い出しました。