青谷上寺地(あおやかみじち)史跡公園に行ってきました。
上段の復顔写真:左は青谷来渡(あおや らいと)10代男性、右の女性は現在公募名から選定中、右端のパネルの青年は青谷上寺郎(あおや かみじろう)現在東京の国立科学博物館で6月15日まで開催中の特別展「古代DNAー日本人のきた道ー」に出張中。

青谷上寺地遺跡は山陰道建設に伴い発見された紀元前5世紀から紀元4世紀頃に栄えた弥生時代の集落跡です。
出土した木製の準構造船の破片は北部九州や北陸方面の同時代の地域の人々と交流があったことを示しています。
また、丸木舟の破片も見つかっており、近海での海産物の漁や移動に使われていたのかもしれません。
土器や石器、鉄器に加え木製の容器や農具、骨角製漁具などが豊富に見られ、網やカゴといった生活用品も良好な遺存状態のまま発見されています。
星雲文鏡(前漢鏡)の鏡片や貨泉(王莽銭)のほか平成29年には銅戈片も発見されました。銅戈については以前の調査で木製鞘や柄が見つかっていました。銅戈は弥生時代中期後半頃に製作されたものと考えられており、発見された地層が弥生時代末期であることから再利用の材料だった可能性があります。

青谷上寺地遺跡を特徴づける出土遺物には109体余りに相当する人骨の発見があげられます。
額に金属製武器で損傷を受けた15才位の少年の頭骨や背後から銅鏃で射られた男性の骨盤、結核で癒着変形した背骨などさまざまな状態の人骨が発見されています。
脳の一部が残っていた3体の頭骨なども発見され、その後の核DNA分析で現在の日本人と同じ人々だったことがわかってきました。
また、ミトコンドリアDNA分析からは、渡来系31個体に28系統の母系が確認され、ほとんどの人が血縁関係になかったとされています。
弥生時代の青谷上寺地の集落はいったいどんな人たちが集まっていたのか謎は深まるばかりです。
それにしても中国地方にこれほどまでの大規模な弥生時代の集落が有ったなんて驚きましたが、日本海に面した地域であることからまだまだ同様の集落が鳥取・島根地域で発見される可能性が高いのではと思われますね。

青谷上寺地遺跡

 

青谷上寺地遺跡